stelo*yoco

アートで呼吸する日常

久しぶりの 恋文。

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  乗りものは。キライって言った!!!!
( 注意 / 知っている人は 見なくてイイよ )


「 地球のドコかに居る。すべての皆さまへ 」



    飛行機が とにかくキライ。
    舟も。ボートも。豪華客船もキライ。
    電車も。 バスも。 車も。バイクも。
    自転車も。馬車も。人力車も。
    三輪車も。一輪車も。車いすも。
    乳母車も。何もかも。

乗り物と呼ばれる 全てが キライ。

    キライな理由は。あまりにも
    あまりにも。幼稚すぎるので。どうか

そっとしておいて 欲しい。
    とにかく。もう二度と。飛行機と
    船。バスには 乗りたくないし。
    電車も。すごく。イヤだ!!!!
    ( だいたいの人は 知ってるはず? )
    相当ガンバラナイと乗れないから
    プルプル。すごーーーく疲れるのネ

    手紙も。でんわも。ネットも。
    あらゆる通信を 断つような形になって
    痛み入るよ。だから。どうにか?
    ガンバって 奮起した。してみたけど
    ソーリー
    ここから。何処か 遠くに行くのは。

もう。やりたくないヨ

    その代わり。
    近くに来たら「 おもてなし 」は
約束するっ!!!!
    会いたくないってコトじゃない。
    だけど。いっぱい来られても。まだ
ゼンゼン整ってないから。
    その辺りは「 おもてなし 」なんて
    とても。とても 言えるような状況じゃ
    ない。かたじけない

    相変わらず。やる気は 全く出なくって
    その上。みんなも側に居ないから
たいへん。自分に 困ってるよ!!!
    だから。
    ときどき 夢で逢いましょーーーう。

    この投稿した写真に 出逢って
    ちゃんと生きるって
    珍しく。やっと。その気になったのは

間違ってはいないから。安心して!!! 候


    と。ふざけてしまいましたが「本当のはなし」
なので。どうぞ。お忘れ亡きよーーー(・∀・)
    ちなみに今回の投稿写真は「お気に入り」の中の
    お気に入りなので!!!言わずもがな
    低の 低の 低の「 低画質 」わざと 荒目ご注意あれ?

    ご存知!!!とは? 思われましたが。やはり
    親しき 仲こそ! 礼儀あれッ?
    とばかりに「 生みの親 」は。もちろんのこと!!!!
    「 育ての親 」のほうには。「 生みの親 」以上に
厳しーーーーーく!!!! 可愛がっていただき
    未だに。イヤ
    いま今だって明日だって!!!!末永く
    「 忘却の彼方 」などといった 無礼なきよーーー

一段と「 ふざけて 」生きて参ろうと 存じます。る


Ksana & FREE Hugs ...

紙が。何よりも好き

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紙が。何よりも好き

理由は 一つ。大好きな人たち が
パソコンを 使わないから。に 尽きる。

デジタルは 大の苦手。それなのに
パソコンとの くされ縁は 平成元年 から。
無いと 何ごとも ままならない。それも
事実。だけれども

パソコンを 使わない人が 置き去り
が。どうしても 違和感。

その点。紙は 万能だ

文字さえ 理解すれば イイ。
あとは。なんとか成る。そして
全ページは 読まないけれど。新聞も
やっぱり 好き。たとえば

山形新聞日曜版/日曜随想 」

ある縁が きっかけで 知った記事。で
2011年( 平成 23年 )の随筆は 宝。

ここに 随筆された方との 縁で。
まさふみ はしもと氏 が
去年の秋から。とっても イイ感じ。で
歩み始め 長い冬を 超えて。やっと
いま 一歩。を

すごろく なら「 一マス 」進む?

彼のことだから
何マスも 進む。なんて奇跡がっ
逆に。
一マス 進んで 三マス 下がる。
なんてことも?
ご存知。何が起こるか 解らない。

それでも。五年前の

山形新聞日曜版/日曜随想 」から
始まって。

資金ゼロでカフェをつくる男 」に
より道したかと 思えば。この縁から
怒濤の 奇跡的な縁の 連続に。少し
息切れしながらも
その先に。待ち構えていたのは?

「 連歌 と 俳句 と 川柳 のように 撮る女 」

一人では 全く 思いつかない展開。
それぞれの 全く異なる 動機が 私の中の
すべてに つながった。

今の自分に ぴったりと 合ったもの。

その だいたいが 第三者には
ほんとうの ところでは 知り得ない
「 価値だろう 」それを 教えてもらったよ。



勝手に。山形の断トツ一位で いい女。
http://www.npo-arata.com/midori-room.html

勝手に。山形の断トツ一位で いい男。
http://s-shuhei.hatenablog.com/entry/2015/10/19/174254

sTelo ステロ との出会いが 一番うれしかった。
http://stelo-yoco.hatenablog.com/entry/2015/10/29/200054

そして 写真。
http://megumikato.wix.com/shashinbaco#!blank/c6bj

いま 気になる男は この人。
https://www.facebook.com/kichiemonn?fref=ts

三拍子( さんびょうし )が 揃った よ。

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あそび場「 一( いち )」の みなさま へ




旧暦 3月11日 =「 謎( なぞ )」



辺りを見渡せば まわりは
謎で いっぱい だ。

枕草子に「 なぞなぞ合わせ 」が 描かれるも

むかしは「何ぞ?何ぞ?」と問うた言葉が
ちぢまって「なぞなぞ」に変化し。やがて
「 謎( なぞ )」の語源と なったそうな。

もっと 不思議な 面白い 語源だろうと
勝手に 期待しただけに 素朴すぎて
拍子抜け。する。

案外。身の回りの
イロイロな「 謎( なぞ )」の 正体も
こんなもの かも知れない。

2011年3月11日の「 謎( なぞ )」も また。

誰にも 解けない 難しい 謎のようで。実は
誰にでも 解ける カンタンな 謎かも
解らない。



旧暦 3月13日 =「 訪れ( おとずれ )」



何か が 訪れるとき 必ず 音が する。

人が 訪れるとき は
足音。衣擦れ(きぬずれ)。声。
扉を たたく音 とイロイロ だ。

「 訪れ( おとずれ )」の「 おと 」は
そのまんまの「 音 」のこと。むかしは
気配 や うわさ。お便り や 返事に至るまで
すべてを「音」と 描いた。

「 訪れ( おとずれ )」の「 ずれ 」は
「 連れ 」だろうと ささやかれている。

春もまた。音を 連れてくる。

雪解けの水「 雪代水( ゆきしろみず )」の 瀬音も。
ホトトギスの鳴き声「 忍び音( しのびね )」も。
木々の葉ずれ が 奏でる踊り も。

どんな音に 春の訪れを 聴くかは。それぞれに。
耳を澄ませば 聞き逃しては もったいない 音が
必ず。ある。




旧暦 3月14日 =「 大切( たいせつ )」



十六世紀 ポルトガルから
「 amor 」なる言葉が 入ってきた。
当時これを「 大切( たいせつ )」と訳した。

万葉のころから「 愛欲 」といった
悪い響きの印象が 強かったから?だろうか。
今でも。
日本に生まれた人は「愛しているよ」とは
なかなか 口には しない。それよりも。
「 大切( たいせつ )だよ 」と口にするほうが
ピンと 来るだろう。そんな雰囲気が ある。

「 大切( たいせつ )」の「 切 」には

直向きな さま。心を込めて する さま。
差し迫った さま。身にしみて 強く感じる さま。
と実に。イロイロな意味が 在るようで。語源も
重要な 区切りを 表す。だとか
刃物を ピタリと当てている さまから
派生した言葉 だとか。説は 絶えない。

「 大切( たいせつ )」= 愛

頭に 浮かぶ顔 は。はて。どんな顔だろう。
そして。いくつ 浮かぶだろう。



旧暦 3月15日 =「 醍醐味( だいごみ )」



牛乳を煮詰めた食べものが「 醍醐( だいご )」
それは。
チーズに似ているとか。バターオイルのようだとか。
ヨーグルトと 云う人も 居る。けれど正体は
「 謎( なぞ )」のまま。だ。

涅槃経( ねはんきょう )の 教えでは

「 醍醐( だいご )は 最上なり。
  若し 服すること 有る者は
 衆病( しゅうびょう )皆 除く 」

平たくいうと。

「 味は 最高に うまい。
 しかも。どんな病気にも
 効くそうな 」ここから。

 最上の教え =「 醍醐( だいご )」

となったようで。たとえば。
万能なる薬。から 深い味わい。だとか
真の面白さ。を 指すように 変化した模様。

そして 思う。
「 醍醐味( だいごみ )」を 味わえるのは
心から 楽しめる人のみ。

心から 楽しめるようになると
免疫力が 増す。

病院にも 薬にも 按摩にも 縁の無い。それが
「 醍醐味( だいごみ )」で 実は。
すべての 人の 目の前に 有る。そう思う



さて。あそび場「 一( いち )」の みなさま。

2016年 3月。ここに来て。やっと
兆しが 観えたようで。
5月に 魅せることが 叶うかも? 知れないッ

詳しくは 追って お知らせするので
どうぞ。5月のはじめは 動けるように
わくわくを持って お待ちいただけると 嬉しいですッ



stelo-yoco より。つづく

千秋楽

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雅楽で。いつも 最後に 演奏する曲は
「 千秋楽( せんしゅうらく )」。

「 千 秋 = 一日千秋の思い 」

幾久しく( 千年という意味 )
寿ぐ( ことほぐ )と いった願い を。

これから つづく 長い ながい月日 を
ずっと。ずっと。祝福できる
世の中で ありますように。と。
奏でられた。

やがて。芝居 や 相撲 など興行の
最終日を 指すようになって 略して
「 ら く 」とも。

最後に。いえ最後だからこそ。
これからつづく 日々に思いを 馳せて。

「 いつか ゴールに 辿り着くのでは無い。
一歩 一歩 が ゴールであり スタートなのだ。」
そう ゲーテが 残した言葉に あるように。

stelo も。

それぞれの 道の先で ときどき。に。
星となる 誰かを 支える影と なろう。

女かトラか

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その国で 王は 絶対的な権力を 持つ。
王のすることには 誰も 逆らえない。
その国の中心地には 巨大な円形の闘技場が 在る。
おびただしい数の 観客席が 会場をグルッと 囲む。

しかし。ここは「 裁判所 」。

罪に問われた者は 例外なく。ココに立たされる。
目の前には 二つの扉。
被告人は 自らの手で どちらかの扉を 選び 開ける。
それが 決まり だ。

一つの扉には トラが 待ち構えていて
一瞬にして 身体を 引き裂かれる。

もう一つの扉には 女が。
被告人の 地位 や 年齢 に ふさわしい女を
王が選び。そして。結婚するのだ。
妻子がいようが 恋人がいようが 即座に 神父が
それに続いて 聖歌隊 と 舞踏団 が 現れて
王 と 観客に 見守られながら すみやかに 式が はじまる。

罪に問われた者が 自らの手で 運命を決める
公式な やり方に たいへん 人気のある 制度だった。

この王には 娘がいた。王に似て 激しい性格の王女は
ある家臣と 恋をしていた。しかし。
身分の低い家臣との仲を 王が 認めるはずも 無い。

王女の恋心を 知るや 即座に 裁判となった。

国中の観衆が犇めき 号砲を合図に その男が歩み出た。
スラリと背は高く 彫刻の像のように 美しい。

「 我が国に こんなに美しい 男が 居たなんて 」

口々に ささやく 観衆の思いは 一つ。
「 王女が 恋に落ちたのも ムリは無い 」
彼が 罪に問われるとは なんと むごいコトであろうか。
しかし。王の名において これは 絶対だ。

男は 作法に従い 振り返って 王に一礼する。だが。
その目は 愛しい王女を 一点に 見つめていた。

「 王女なら 知っているはずだ 」

王女の性格と その行動力を知る男は 一瞬の
目の会話で 扉の謎を 尋ねた。
「 どっちだ?」

一方。王女は あらゆる手段を 駆使して
王の知らぬ間に 扉の秘密を 知ることが
できたというのに。男が立つ この瞬間まで
ずっと 苦しみ抜いていた。もちろん。
愛する男が トラに 噛み殺される瞬間を
観たいはずが 無い。だが。しかし。あの
美しい娘と 結婚するのも 耐え難い。
そして。
いま 愛しい人が 自分に 目を向けている。
闘技場の 真ん中 立っている。
彼の眼からハッキリと 感じ取っていた。

静かに。右手を 持ち上げると 王女は
右の耳に 髪の毛を かけた。すると。男は
迷わず 右の扉に 歩き始めた。
扉の先に 現れたのは 果たして?

女かトラか

Frank R. Stockton / The Lady, or the Tiger ?
翻訳/Yoco

無精の果て

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「 初心( ういごころ )」

初心=しょしん。と読めば?
はじめに 思い立った 決心のコト。

初心=うぶ。と読めば?
世間ズレ していないコト。

初心=ういごころ。と読めば
汚れのない 心のコト。

「うい」「うぶ」は どちらも
「生み」「産む」といった 生命の誕生に 由来する。

実際に 生まれるのは 一生に一度 だ。

だけど。細胞は 刻々と 生まれ変わって
だから。ささやかな 生まれ変わりを 毎日
くり返す。くり返す。

生まれたばかりの
まっさらな 心で 観れば?
見えなかった 何か。見失っていた 何か が
観えるかも 解らない。

「 初心(しょしん)忘るべからず 」も 大切だ。けれど
「 初心( ういごころ )」を失うのは もっと。
こわがって & 失わないでいたい。

「 初心 」= 「 ? 」
どう 読むかは 自分次第だ ね。






「 三拍子( さんびょうし )」

一、二、三 。 一、二、三 と。三拍を単位にしたリズム。

音楽用語の 三拍子を 思い浮かべた人も 多いはず。
ここでいう「 拍子 」は、だけど。
能楽用語の 楽器のコト。

邦楽のジャンルの一つ 能の「 お囃子( おはやし )」で
笛と 小鼓と 大鼓と 太鼓で 演奏される 四つの楽器が 揃った
「 四拍子( しびょうし )」が あるけれど。
演目によって 太鼓をのぞいた 「 三拍子 」で 演奏することもある。

この流れから。

お囃子の三拍子が揃うコトを 演奏に必要な
条件が揃ったというコト( 意味 )に成って。
それが 今は
他の世界(分野)でも。

「 三拍子( さんびょうし )が 揃った 」と なった模様。

さて。自分の「 三拍子( さんびょうし )」は 何だろう。
そして。揃ったら どんな景色が 観られるだろう。

わくわくが 止まらない。






「 捨て色( すていろ )」

一つの色を ひときわ( 一際 )鮮やかに 魅せるため
印象づけるために使う 目立たない色のコトを
ベーシックカラーといって 日本語では コレを
「 捨て色( すていろ )」と呼ぶ。

すべての色が 自己主張してしまっては
お互いの 魅力を 消してしまう。

どんな世界でも それぞれの 性質( 性格 )と
特徴などに 寄り添って 役割を 知るコト
それを 忘れては せっかくの魅力も 台無しだ。

ただ。

目立つ色に比べると 気づきにくいだろう とは思う。
けれど。本来の「 捨て色( すていろ )」は
捨てたように さり気なく 在っても 実は。
とても必要な色だし、無くてはならない色。だ。

つまり。必要ない色は 一つとして 無い。






「 優形(やさがた)」

気だて や 姿と そして 振る舞いが やさしい。
この やさしいの語源は 大きく分けて 二つの説がある模様。

一つは「 痩す( やす )」。
身も痩せるほどに 心遣いをする様。

もう一つは「 止す( やす )」。
「 安らか 」「 休む 」といった 停止状態のような様。

言葉の由来は あちらの方へ 置き去りにして
優しさって 何処から やって来るのだろう。

痩せるほど 気遣いをされては 居心地が 悪い。
優しさが 生まれる場所は 安らかな心が あるトコロ。
ゆとりを亡くしているときほど 優しくできないのも
また。自然なコトだろうと思う。だから。
イロイロな 安らかなる場所が 在るとイイって 思うよ。






「 木守柿( きもりがき )」

収穫のとき 柿は すべてを取らない。
地方によって 残す数は イロイロ だけど
木の先端の方に 少しだけ 残す風習のようだ。

理由もイロイロ。
鳥にあげるため とか。来年も豊作を と 祈りを込めていたり。
神( 自然 )に 捧げるため だったりと イロイロだ。

残された柿が 木を守っているわけでは 無いとしても
それでも。まばらな葉の 木の 先端で
秋の風に吹かれている その光景は 言葉にならない
何か 惹かれて 奪われる。

誰かの 鳥への思いやりが 回り回って 自然を 潤す。

「 木守柿( きもりがき )」という言葉が 在るからこそ。
自然を守ってきた 先人からの 願いが 営みが
心を動すのかも 解らない。

そして。今年の秋はココ
「 一( いち )」と 名のつく 遊び場に
あらゆる地方から 柿が 届いた。そして。

11月22日は 友人が。
柿を使った 大人の菓子を 披露する。
それは それは 美しい景色で 見惚れた。

柿の皮を あれほど美しく剥く人を 私は 知らない。

メキシコ原産の 珈琲リキュールの 香りづけに
バニラと 月桂と その他にも イロイロな甘い におい。と
柿の まるでゼリーのような 透明な 艶めいた輝きに
一度で 済ませれば善いモノを。 幾度も 幾度も。
おかわりをした 偶蹄に 恥を知るほか 無く。私ったら!

柿だけでも 無限に 遊べそうで 心が騒がしい。






「 暦( こよみ )」

日を数えていただけのころ。

明治五年( 1872年 )の 11月9日に
太陽暦を採用すると発表されたらしい。そして。
この同じ年の 1872年11月3日が 翌年 明治六年の
一月一日となった。

それまで使われていた暦は 正確には「 太陰太陽暦 」。
飛鳥時代に 中国から伝わって
江戸時代に 日本人の手で 改暦されながら 使われてきたらしい。
それは。月の周期を 基本にする 太陰暦に 季節との誤差が
出ないように 「 閏月(うるうづき)」を 入れたりしながら
工夫を 加えてきた模様。

「 日を読む 」と描いて「 日読み( かよみ )」。
この 読み は 数えるというコト。暦の語源だ。

数字と にらめっこ?するような デジタル化された日常で
ふと思うのは。
「 日( 太陽 )は昇り、また沈む 」の くり返しなのに。
昇る太陽を 一つ一つ 数えていた時代も 確かに あったはずなのに。
どうして こんなにも 忙しくなってしまったのだろうと。

日を数えていただけのころ。

何のために 都会から戻っただろう。私は
ちっとも 出来ていないよ。いったい今は 何日だろうか。






「 天衣無縫( てんいむほう )」

天女の衣には縫い目が無い。

技巧を凝らさなくても そのままで完成された作品を
「 天衣無縫( てんいむほう )」と
だから 人は呼ぶようになった模様。

天才的な芸術家の作品が だけじゃなく。たとえば。
麻雀でも 配られたとき 何もしなくても 揃った無敵なる手がある。
まさに「 天衣無縫( てんいむほう )」だ。

近ごろは
同じような意味で「天真爛漫(てんしんらんまん)」とも。

「天真」=自然なまま飾り気が無いコト。
「爛漫」=純真で無邪気な人柄で光り輝く様子。

天才肌の人は「天真爛漫(てんしんらんまん)」なる人が
多いようで。そんなふうになった模様。

「天真爛漫(てんしんらんまん)」に振る舞うと
「 天衣無縫( てんいむほう )」なる作品が出来る?

ココ 「 一( いち )」と 名のつく遊び場では
訪れる人すべて 自由に振る舞える 空気であれ。

素晴らしい景色が 観たいもの。

歌舞伎の風が吹いたから

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stelo 公演 「 珈琲なひとびと 」 主演/yoco


第 一 部 「 涙雲( なみだぐも )」

辞書には 載っていない「 なみだぐも 」たぶん。
瞳のなかにも 空が あって 刻々と表情が変わる。

雨が 降りそうな気配の 空に 雨雲が 浮かぶように
瞳にも「 うるうる 」と? これ。古語らしい。

雨は そのうち やみます。必ず。



第 二 部 「 刹那( せつな )」

指を 一回 はじく時間が 65刹那 だとか。
75分の一秒のコトとか イロイロ説がある梵語( ぼんご )で
仏教の時間の単位 =「 刹那( せつな )」

この激しく短い 時間のつながりが だけど
一生 になる。

すべての人に 平等に 与えられた 財産と よく聞く。

使っても 使わなくても 消えて 誰も貯めるコトは
叶わない。

たとえば。すべての人に 平等に 毎日24万円が 必ず
与えられたとしたら?

使ったとしても 使わなかったとしても
一日で 消えていくとしたら?

お金も 時間も 労力( 手間 )も どれも 財産。

それを キラビヤカなる 宝に 変えるコトが できるのは。
自分だけしか いない。



第 三 部 「 派手( はで )」

三味線で 本来の弾き方を「 本手( ほんで )」
その「 本手(ほんで)」を打ち破った にぎやかな
細かい 弾き方を やぶる手と描いて「 破手( はで )」
と 云うそうな。

常識破りの 華やかで 目立つコトも
みんなが マネをすると いつの間にか 常識になる。

そして。

また新しい「 破手( はで )」が生まれて
イロイロな「 破手( はで )」に 分かれていく。

いまは。

分かれる という意味の「 派 」と 漢字が 当てられて
「 派手( はで )」と 描くようになった模様。

華やかなモノ 目立つモノに ひとは 憧れたりする。
それは 心のなかに 何かを 打ち破りたいっ
そんな衝動が ひそんでいるから?

常識を 打ち破ったトコロに カッコ良さが
生まれるのかも 知れないねって。

私が思う 常識を破る カッコイイ大人たちは コチラ↓

http://stelo-m3.hatenablog.com/entry/2015/11/14/%E7%90%86%E7%94%B1%E3%80%82


http://s-shuhei.hatenablog.com/entry/2015/11/13/182919


https://www.facebook.com/kichiemonn/posts/866832903436091#


http://kichiemon14th.net/?p=5216



最後まで ご覧いただき ありがたき幸せ。でござりまする