stelo*yoco

アートで呼吸する日常

絆( きずな )

f:id:stelo-yoco:20151111163556j:plain

もとは「 木綱( きづな )」と描いていたとか。

馬や犬 、鷹などを 木に 結びつける綱のコトで
いつのまにか「 絆( きずな )」となった模様。

だけど。

太い綱で しっかりと 木に結びつけられた 馬と
ほとんど 結ばれていないのに そばから離れない
馬が 居るとしたら?
飼い主との絆は どちらが強いだろう。

心の絆。それは。
目に見える形に しようとすれば するほど
弱くなっていくような 気がする。

心が 自由だからこそ。強い絆を 結べるのかなと。

「絆」という字も つなぎとめるという意味の
漢字( 感じ )だし。
「 情に絆される 」というと?
情にひかれて 束縛される という意味だから
かなり。手かせ 足かせのイメージが 強い言葉だ。

家族だろうと 夫婦だろうと 友人だろうと
どんな 関係性だとしても。
知らず知らず。手かせ 足かせになるような
「絆」と ならないように 心掛けたいし。
そうできるコトを 示していきたい。

薫陶(くんとう)

f:id:stelo-yoco:20151109201057j:plain

long , long ago ... 香(こう)をたいて 香りを染み込ませ
粘土をこねて 形をととのえながら 陶器を作るコト。
だけれど。だんだんと。香りが染み込むように 教えが
ごく自然に 身についていくコトを「 薫陶(くんとう)」
と、いうようになった模様。

老子曰く「 無為にして化す 」

ムリヤリ教え込まないで。自然に感化するコトこそ 理想の形。
とはいっても。自然が 無為にして教えてくれる イロイロ を
全身で 感じる 五感の鋭さも 必要で。それが無いと始まらない。

身を美しくと描いて「しつけ」
コレは 日本で考え出された 国字 なんだとか。
美しさは生まれ持った姿かたちではなく
「 躾(しつけ)」によって 身につけるコトができる。

「 仕付く 」と 仏教の「 習気(じつけ)」が合わさって出来たとかで。
「 仕付く」は やり慣れているコト。
「 習気(じつけ)」は くり返し行われる、イロイロな行動の結末や
 身についた趣味や嗜好などのコト。

意識してするコトじゃなく 無意識にしているコトの積み重ねが
人の美醜を決める & その大切さを教えるのが
「躾(しつけ)」なのかなと。

無為にして化す 」のような 「 薫陶(くんとう)」と
相反する「 躾(しつけ)」の 使い分けを誤ると
せっかくの 個性=魅力 も 台無しだ。

琴線(きんせん)

f:id:stelo-yoco:20151102141437j:plain

「 琴線に触れる 」とあるように
「 琴線(きんせん)」は お琴の弦のコト。

明治のころの日本では ピアノを洋琴
オルガンを風琴 と呼んでいたとか。

英語では「 touch the chord 」
「 chord 」は弦のコト。

心のなかに 楽器があるなんて発想は ステキだ。
お互いの弦が ときどき 共鳴し合って
響く音色は 琴の音に限らないかも解らない けれど。

どこの国にも 心のなかに
楽器を持っている人は いるようで。

それぞれが 奏でる音色を 肌で感じるは 今宵も。

この週末 やっと「 琴線に触れる 」人びとに
出会えた気がした。

空には 赤い月が 浮いていた。

直向き(ひたむき)

f:id:stelo-yoco:20151030183134j:plain

「 ひたすら 」とか「 ひた走る 」と同じで
ひたむきの「 ひた 」は「 まっすぐ 」というコト。

知識 や 経験 が増えていく一方で つい
斜めに 観ていないだろうか?

何ごとにも ウラ があると思うから だろうか?
解りきっていると 冷めた目で 観るから?
それとも。
跳ね返って 傷つくのを 心の底で 恐れるから?

ひたむきな目をしていた頃は 誰にでも あったはず。

ホントに観たい方向を 観ていないから
まっすぐ観るコトが 出来ないのかも 知れないよ。

イロイロな角度から観る は、大切だ。
だけども。最後に人の心を動かすのは
ひたむきなる 瞳 なんじゃないかなって。

そんな人に出合うと なんだか
山に身を置いたときと 同じ気持ちになる。きっと。
そのときの一歩は 昨日と何か ちがうだろうと。

今日 そんなふうに 感じる人が 居た。

一入(ひとしお)

f:id:stelo-yoco:20151029195925j:plain

 

近ごろ 知った中で オモシロかったのが
もともと 染色のとき 一度だけ浸すコトを 

「一入(ひとしお)」というのだとか。 

 
藍染めでは この 一入 だけ染めた色を 
瓶覗き(かめのぞき)」という。
瓶をのぞく間に 染まった色 というコトらしい。
 
染料に浸すごとに だんだんと色も 濃く 深くなるけれど
いちいちソレに 名前があるから オモシロイ。
 
水色 浅葱(みずあさぎ)→ 浅黄  
納戸 かち色 濃紺 などなど。 
 
人の感情にも置き換えて 「 喜びも一入 」とか
「 一入 身にしみる 」とか 染まりゆく 思いの深さを 先人は
豊かに なぞらえていて、いちいち 感心する。
 
「 一(いち)」と名のつく あそび場に 訪れる
一人ひとりの 湧き起こる あらゆる感情を ひとつ一つ。 
 
ブログに載る写真は すべて「 stelo 」 member m3 が撮ったもの。
はじめの一歩に ふさわしい写真は 戸沢村「土湯杉(つちゆすぎ)」で 戯れる図。
みんなで 秋の呼吸を感じた イイ写真。